この手だれの手?(完全版) 第39回 ゲスト 木村一基王位(1)

駒doc.2019秋号「この手だれの手?」で誌面の都合上カットした部分を加えた(完全版)のインタビューをご紹介いたします。

全5回に分けて全文公開いたしますので、ぜひご覧ください!

 

 第39回ゲスト 木村一基王位 

 

PROFILE

1973年6月23日生まれ。千葉県四街道市出身。(故)佐瀬勇次名誉九段門下。
1985年6級で奨励会入会、1997年4月四段。2017年6月26日九段。第60期王位。順位戦A級・竜王戦1組在籍、タイトル戦登場回数7回、タイトル獲得1期。棋戦優勝2回、将棋大賞受賞4回。
千駄ヶ谷の受け師という愛称で親しまれる居飛車党。将棋での活躍もさることながら、わかりやすく面白い解説にもファンが多い。

 

インタビュー(1)

 

●将棋は5、6歳の頃にご友人から教わったそうですね。
そうです。教えてくれたのは隣に住んでいた子でしたね。

でもすぐにその子より強くなったので、近所の将棋の集まりに行くようになりました。

そこにいたおじさんが、当時千葉にあった将棋クラブに連れて行ってくれました。

小学校2年生の夏休みの時に、その将棋クラブにたまたま指導にきていた佐瀬先生(佐瀬勇次名誉九段)が声を掛けてくれたんです。

その時私は1級か初段くらいだったですね。まだそこまで強くなかったんですが、弟子にしていただきました。

佐瀬先生に最初に教わった対局では二枚落ちで入玉されて負けたのを今でも覚えています。

 

●それから佐瀬先生のお宅に時々通うようになったのでしょうか。
そうですね。当時は庄司さん(アマチュア強豪の庄司俊之氏)と中井さん(中井広恵女流六段)が内弟子(*1)をしていまして、よく教わりましたね。ずいぶんお世話になりました。

*1 師匠の家に住み込んで、家事手伝いをしながら修行をする弟子のこと。

 

●子どもの頃の勉強法は?
将棋クラブや道場に行って指してましたね。それだけだったと言ってもいいです。

地元の千葉に行ったり、新宿や千駄ヶ谷の将棋会館に行ったり。番数(*2)をこなせって師匠が言っていたので、それを信じきってやっていましたね。

とにかく指すのが一番楽しかったですね。

詰将棋とかも一応やりましたけど、あんまり解けなかった。

全然やらなかったわけじゃないし、逃げていたつもりもないですけど、それほどやりませんでした。

だからお子さんがいる人とか、覚えたての人とかにお勧めするのは実戦でたくさん指すことですね。

*2 様々な行事や相撲の番組・試合などの数。ここでは転じて対局数のこと。

 

●道場や大会にはお一人で行かれたのですか。
千葉の将棋クラブも最初だけ親が来たんですけど、あとは全部一人でしたね。

この世界の鉄則として「親が関わると強くならん」と当時から言われていましたので。

気になるのはわかるんですけど、親が何かすればするほどダメになるというところははっきりあります。

今ご時世がご時世だから最初は心配でしょうけど、強くしたいんだったらほっといた方が良いのかなと思います。

成績とかも気にしないほうが伸びるんじゃないですかね。

 

●木村先生のご両親は将棋を指されますか?
ルールは知っています。親父が忙しかったんで、最初は母親が事典でルールを覚えて指してくれましたけど、そのうちやらなくなっちゃいました。

親父もルールは知ってましたけど、指したことは記憶にないですね。

 

●親御さんは見守るのが大事でしょうか。
そうですね。人間ですから気にしてないわけはないんでしょうけど、自分の場合はほぼノータッチだったように思います。

 

 

●小学校時代は大会にもよく出場されましたか?
今と比べれば、大会はずいぶん少ないですからね。恵まれていますよ、今のお子さん達は。

小学生名人戦だって今みたいな地方予選をやれてない時代でしたから。

あとは東急とかの将棋まつりでは結構あって、そういうのは出てましたけど。

 

●現在棋士になった先生方とも大会で対戦されたのでしょうか。
札幌に行って野月君(野月浩貴八段)とか屋敷さん(屋敷伸之九段)と当たったんですけど(*3)、東京だとあんまり記憶がないんですよ。同世代だと行方君(行方尚史八段)は青森ですし、三浦君(三浦弘行九段)は群馬ですからね。だからあんまり会わなかったです。大会で会った人としては年上の人が多かったような気がしますね。札幌でのことは結構強く記憶に残ってますけど、その印象が強すぎるからかもしれないです。

*3 1984年1月に開催された札幌東急将棋まつり小学生大会。野月八段が優勝、木村王位が準優勝、金沢孝史五段がベスト4。

 

●札幌の将棋大会にはどういった経緯で参加されたのでしょうか。
札幌は両親の実家で、お正月に帰省しました。

当時は年2回大会をやっていたと思うんですけど、その内の正月の大会で、屋敷さんが6年生、私は4年生だったかな。

1回戦で屋敷さんと当たって、うっかり勝っちゃったからずいぶん注目されましたね。

その屋敷さんの評判たるやものすごいものがあったのですが、こちらはそれを知らないから。

知っていたら多分負けてたでしょう。

 

●札幌の大会で出会った屋敷九段・野月八段・金沢五段が奨励会の同期ですね。
そうですね。屋敷さんは2学年違って、すぐ棋聖取っちゃったからあんまりそういう意識がないですね。

金やんもフリークラスに行っちゃったけど、17歳で三段ですから、決して遅い方ではなかったですよね。

同期だと他に桐山さんだとか新潟の早川さんとか、アマチュアの強豪の人も何人かいますね。

 

奨励会試験は2回受けられています。
そう、1回落ちました。今は二次試験で1勝すればいいんですけど、当時は一次試験が5勝1敗、二次試験が1勝2敗で落ちました。

師匠が絶対受かるからって言ったけど受からなかった。

でもあんまりショックもなくて、いずれ入るもんだと思ってました。

最初は5年生の時に研修会C2で受けて落ちて、1年経ってB2で受かりました。

もう6年生の時は満を持してという感じでした。

 

●奨励会時代はどんなお子さんでしたか。
早指しでね、奨励会の時はもうちょっと時間を使うんだってことをよく言われまして、意識したけど全然駄目でした。

よく30分ぐらい時間を残して負けたりしていまして、今になってみればずいぶん無駄なことをしたなと思います。
師匠は早指しは奨励していたんですよ。

長考すると、迷っているだけだったら絶対ダメだから、癖になるからやめろと言われたんです。

迷うくらいだったら指して番数をこなせと。

ところが奨励会入った途端に、時間残すのはやめろと言ったんですよ。

プロの世界に入ったんだから、そういうやり方を心掛けた方が良い、上手く切り替えられるというようなことは言っていたんですけども、まあ師匠の言うことを聞くような子どもではなかったです。小学生ですしね。

 

●奨励会に入会されてからも、勉強法は実戦が一番多かったのでしょうか。
指す方が多かったですかね。奨励会の有段者になると考え方が少し変わってきたというか、筋肉がついてきたというか、それで少しやり方が変わって詰将棋も解くようになりました。でもそれまではほとんど変わらなかったかなあ。

 

(2019年6月7日取材 文=沙耶 写真=直江雨続)

 

(その2に続きます)

 


コメント
コメントする








   
この記事のトラックバックURL
トラックバック

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< November 2019 >>

selected entries

株式会社ねこまど

株式会社ねこまど

03-6380-4798(平日10時〜18時)
アクセスはこちら

ねこまどshop

無題.jpg
将棋グッズ、好評販売中!!

categories

archives

recent comment

recent trackback

  • 明日9/23、駒doc.将棋フェスタin東京 開催!
    将棋

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM